皆さんは、「明日死んでもいいように……」と思って生きていらっしゃいますか?
私達を縛っているもののひとつに「時間」があります。今の社会が時間という“概念”の中で機動し、管理されているから、それは仕方の無いことなのですが、それを自分の無意識にまで働かせていることが人間にとっての「自己限定」に繋がっているのです。それを意識して外すことで人はもっと自由になれるのです。
と私たちは加納先生から教えていただいています。
9月8日に開催されました 霊学深考会の 今月の‘超える’テーマは
「昨日の続きの今日、今日の続きの明日」という幻想を打ち破る、です。
私たちは、過去・現在・未来が繋がっていると、どれほど思ってきた、思わされてきたでしょうか。
夜寝て、朝起きたら「新しい私」になっているのに、昨日の続きを生きてしまう。頭ではわかっているけど、今まで腑に落ちていなかったのですが、今回、霊学深考会に参加したことで、私の中に変化がありました。
40名の皆さまとリモートで共に考えていく中で、個人的に面白かったことの一つに、昨日と今日を繋げている接続詞があったことです。「また」「やっぱり」「きっと」「いつも」……人は無意識のうちに、そうやって、「昨日と今日」「過去と現在」を繋げている。そして、それをしているのは、他の誰でもない、私自身でした。
霊学深考会が終わった、その日の夜。
私は、娘に対して言いながら何となく違和感を感じていた言葉がありました。
「早く寝ないと、明日の朝起きられないよー。」という声掛けです。
確かに前にそんなことは何回かありました。でも明日はどうなるかわからない。
なのに、過去の出来事と明日を繋げ、まだ何も決まっていない未来の心配までしていた。その夜、その言葉をやめてみました。娘は、夜はそんなに早くは寝なかったのですが、次の日の朝は普通に起きられました。
そして、もう一つ。
「昼にパンを食べたから、夜はご飯にしよう。」何気なく言っている言葉でしたが、これも時空連続体の中にいる言葉だったと思いました。お昼パンを食べても、夜になったらまたパンを食べたいかもしれない。その時食べたいものは何か、今、やりたいことは何か。過去と今を繋げずに考えていくことが、今を生きることになっていくのではないかと思います。
今日食べ過ぎたから明日太る、今日○○さんと気まずかったから明日も気まずい……食べ物であっても、人間関係であっても、同じだと思いました。
明日死んでもいいように……と考えていくと、時空連続体の中にいる場合ではないですね。
最後に。霊学深考会が終わってから、気がついたことがありました。
加納先生が書かれている本や文章が、何度読んでも新しいのは、時空連続体の中で書かれていないからなのでは、と。時空連続体にいない加納先生が、その外から書いている。だから、それを読む私たちも時空連続体の中に居続けようとすると違和感を覚える。
前読んだのに、こんなこと書いてあったっけ⁉︎ と、前と繋がらない気づきが起こる。気づきの積み上げではなく、新しい発想や視点になるのは、すでに時空連続体の概念から外れている「新しい私」の体験をしていたのでは……と思いました。
ムギルナラテ

写真:霊学深考会後の「今を楽しむ食事会」~仙台 医美同源 Sophyce(ソフィーチェ)~