全国各地で開催されている霊学ワークショップでは、昨年12月にテキスト「量子脳開発メソッド 五次元思考のススメ」の使用が一旦終了し、1月はプチ霊学26「真の孤独」をテーマとして開催されました。
このプチ霊学は、加納眞士先生が2014年の2月のニュースレターで、ライトニングワーカーに向けてお伝えくださったものです。
そして、それよりも以前に、2009年に出版された「THE霊学 魂の旅路」の中にも“孤独”について書かれており、リ・ジェネシススクールでは霊学の単元としても組み込まれています。
私は先月、このワークショプ担当者の一人として、開催地の岡山へ向かいました。
テーマの「真の孤独」には縁があり、過去にスクールでも二度担当いたしましたが、当時はその内容が深すぎて難解に思えました。
でもその反面、もっと知りたい、気づきたい、このテーマを考えていきたい。と、その後も霊学に向かわせる力が働いていました。
人はどこかで、誰かと理解しあいたい。または、どうして人を理解できないのだろう、理解してもらえないのだろう。と、一度は思うことがあるかもしれません。
数年前、私も人間関係で考えていたことがあった頃、「人は人を100%理解することはできない。でも、それを理解することが理解なのだ。」と学んだことがありました。
その時に、何かストンと腑に落ちたというか、ああ、そうなのだな。と自分の中から何かが抜けて軽くなった感覚がありました。
でも、まだそれは「あきらめ」の段階で、この霊学の中でいわれている「『真の孤独』とは『人に理解されること』や『誰かにわかってもらいたい』という想いを放念すること。放念は、放棄。最初から、『手放している』こと」という域ではなかったと思います。
ほとんどの人は、日々誰かと関わり影響しあって生きています。
お互いの幻想の中で、見て、聴(聞)いて、思ったりしながらも、それでも「ああ、この人はこういうふうに考えるんだ」「こういう考え方があるんだ」「これがこの人を作っているものなんだ」と、その人を理解し共感しようとする時があります。
その反面、「理解はするけど受け入れられない」場合もあります。
でも、もしその摩擦や葛藤、関わり合いの中で魂が磨かれているのだとしたら、加納先生がおっしゃっていたように、それが真の目的として、その関係性がその人の進化のために何かを気づかせる「手段」であり「道具」になるのだとしたら・・・、そうすると、自分は一体何を気づきたくて、この「手段」や「道具」を使っているのだろうと考えてしまう時期もありました。
人が傷つくという時は「自我」が傷ついているだけで、「魂」は傷つかない。
また、人は人を100%理解することはできないけれど、自分を理解できる「たった一人の理解者」とは、他ならぬ自分自身なのだということも学びました。
その「私」の決して傷つかない魂には、求めているもの、ミッションや体現しようとしているものがあり、それを突き詰めようとする自分を理解してくれるのが自分自身だということ・・・。
人は誰かと関わりながら、それぞれの魂のミッションのために磨きあっている。
それは、お互いの魂の計らいでおこなわれている進化のための共同作業のようなものなのかもしれません。
今回岡山では、「たった一人の理解者」ということにも焦点をあて、参加者の皆さまと共に霊学を深めていきました。
ご参加者の中には、「『真の孤独』は、自分の人生のテーマでした。」という方もいらっしゃいました。
霊学ワークショップでは、グループでの意見交換や全体を含めたシェアもおこないます。
意識的に、論理的にテーマに沿った問いに向き合い、思考し、参加者同士で話していく中で視点や気づきが増えていきます。
この霊学ワークショップ自体が、お互いの魂を磨き合う場なのだな、と思います。
「私の中に、私というたった一人の理解者が存在している。」という論理は、何よりも心強いものです。
そして、誰にでも、同じようにその理解者が存在しているのだと考えた時に、加納先生の「相手を尊重する、受け入れるのが愛。自分と違うけれど、自分と同じ価値を見出すのが愛。」という言葉が思い出されました。
今回またあらためてこのテーマと向き合った中で、やはり、自分を理解し続けたい。論理としての「私」、その認識の中での生を、意識して生きていきたいなあと思えました。
これからも学びの徒として、霊学を共に学び合える人たちがいて、それを共有できる場があることは幸せです。
今はそう思える自分を、理解できるような気がします。
ユメコ

